こんにちは、みぞくまです。
今週は3連休を頂き、一泊二日で京都に行ってきました。
今回の目的は
「坐禅」。
(イメージ)
坐禅の「禅」とは(勝林寺HP引用)
ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼び、ほとけのこころのことです。
私たちの心は、もともと清浄な「ほとけ」であるにも関わらず、他人と自分とを比べて、対象化しながら距離と境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする我欲によって、曇りを生じさせてしまいます。
自他の距離と境界を越えるには、自分自身を空しくすることです。禅とは、雀の啼き声を耳にしても障りなく、花の香りの中にあっても妨げにならず一如となれる、そういう自由自在な心のことです。
坐禅とは
「坐」は、日本の言葉で「すわる」といいます。「すわる」とは、落ちついて動じない、とか、静止する、定着する、などの意味だと辞典にあります。要するに、動かないように安定させることです。
身体を落ちつけて動じない形に安定させ、心を一ヵ所に集中し定着させる。その身と心とを融合統一し、身心を一如に安定させるのが呼吸です。
坐ることによって身・息・心を統一し、または統一しつつある状態が坐禅だということになります。
方向音痴がさく裂して、お寺へ行くのに迷いながらようやくお寺の入口を発見。
(つ、ついにきた!)
ネット予約をしていたので、受付をすんなりと終わらせ開始時間までしばし待機。
この時期の庭園は新緑がとても綺麗でした。秋は紅葉が綺麗みたいですよ。
雑音もなく自然の音しか聞こえてこないお寺、たくさんの緑にも囲まれて、それだけでも心が安らぐ気がしました。
母と記念撮影。毎年どこかに旅に行く。
この時は余裕かましてました。←
(坐禅てお父さん座りして目を閉じてジッとしておくんでしょ)
って。
いざ坐禅のやり方を教わると、
足の組み方がお父さん座りではない!
足を股の上に置くように組まなきゃいけない。
組むことは出来ました(*´▽`*)
そしたら今度は手の組み方。
法界定印といって右手を下にして両手の親指同士を合わせてわっかを作ります。
その次は目線。
目を閉じてはいけないんです!
半眼といって顔は真っ直ぐのまま目線だけを下に下した状態。目をつむるほうが良くないと言われているそうです。
そして坐禅で大事なのは「呼吸」と「数を数えることに集中する」こと。
息を細く長く、20秒くらいかけて一呼吸します、それを一回、二回と数えていきます。約15分間。
初っ端から10も数えれず、周りの気配が気になったり、いろんな思いが頭の中を邪魔して全然集中できないんです!
そんな、心がまとまらない時に「警策(きょうさく)」で肩を叩いてもらいます。
この叩く行為は、「罰」ではなくて、「激励」としていただくものだそうです。
さっそく私も叩いてもらいました。
こんな感じで 叩いてほしい時は合掌。
「叩いて、ください」
痛いんです。鈍痛です。
でも不思議とシャキッとなるし、最初より呼吸の仕方や集中の仕方をつかんできました。
が、
今度は足が痛い!
あんなに余裕かましてたのに、足が痛いし痺れてきて
手で作ったわっかも歪んだり、親指が離れてきたり・・
集中するってほんとに難しい。
「また、叩いてほしい」
そんな思いがめぐります。
また叩いてもらいました。
するとまたシャキッとします。
あっというまの15分間。
体験では15分坐禅・5分休憩・15分坐禅と
休憩を挟んでくれるのでやりやすいですが、本気の修行はこんなもんじゃないみたいです。
休憩後の15分間も、眠たくなったりして集中できませんでしたが
また叩いてもらってなんとか持ちこたえました。
最後は住職さんによる法話を聞いて終了です。
なんかスッキリしました!
心は川の流れのように、雑念が溜まってくるとどんどんよどんでいくそうです。
車窓の眺めのような感覚で、一つ一つを追いかけず流れる景色のようにやり過ごすことが心を「無」にするコツだそうですよ。
無になった後は、忍者体験をしたかったんですが。(忍び足とか学びたかった)
京都の人の多さをなめていました!
予約が取れず、手裏剣投げの体験だけしに行ってきましたよ(*´▽`*)
本物の手裏剣!意外と重たいです。
忍者は本当に存在してたんですね。忍者の仕事は「スパイ」
手裏剣で人を殺したりとかはしないそうで、殺すときには手裏剣に毒を盛って投げてたとか!
敵方の情報を収集するのに忍んだり、時には敵方にウソの情報を流すようなこともしてたみたいです。
かっこいいぞ、忍者。
いつかリベンジしたいですね忍者!!
坐禅と忍者、おすすめですよ!皆さんもぜひ、体験してみてください(*´▽`*)
終